プランナーのきまぐれ街並み探訪! VOL.3 皇居・日本橋
![]() | わたしたちイゲタヤE&Rは、「お客様の夢をカタチに…」を合言葉に、ここ日野市南平から日野市・八王子市を中心に近隣にお住まいの皆さまへ日々エクステリアのご提案をしております。 こんにちは、イゲタヤE&Rプランナーの大貫雄三です。 まだまだ慣れないながらも、これからこのBlogを読んで下さったエクステリアに興味がある皆さまへ少しでも役に立つ情報を書いていきたいと思います。 |
今日は2月最後の一日、29日です。
又、この29日は4年に一回来る"閏年"の1日で、例年より1日多い年となります。
そう思うと何か不思議な物を感じますね。
個人的にチョット気になるのは、「この日に生まれた人の誕生日はどうなるのか?」…興味深いですね。
子供の頃なら「4年に1歳だけしか歳とらないから大人になるまでいっぱい日数掛かるね!」なんて微笑ましい事を言っていたかもしれませんね。(笑)
因みに、この"閏年"についてもう1つ特別な事があります。さあ、一体なんでしょう?
答えは"オリンピックイヤー"という事です!
今年は、ブラジルのリオデジャネイロが開催地となります。現在、現地ではジカ熱等の様々な問題で準備が遅れているとの事ですが、一体今年の夏までに間に合うのか心配です。
ところで、私が生まれた40年前…1976年も閏年です。この年はカナダのモントリオールにてオリンピックが開催されたそうです。
この頃は一体どんな1年だったのか…とても興味深いです。
さて、一昨日Blogの記事で書きました植栽研修ですが、実は続きがありまして茗荷谷から地下鉄丸ノ内線にて大手町へ移動し、大手門から皇居へ入りました。今日はその模様を書いて見ようと思います。
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東京メトロ丸ノ内線、大手町駅より徒歩で3分くらいの所にある、皇居の入口の一つです。
さてここで問題。皇居にはいくつ門があるでしょう?
皇居の門は、"大手門"から始まって時計回りに"桔梗門""坂下門""皇居正門""桜田門""半蔵門""乾門""北桔橋門""平川門"、更に皇居北側にある北の丸公園(旧北の丸)には"田安門"と"清水門"があり、全部で11箇所となります。因みに皇居の東側、東京駅寄りには"馬場先門"や"和田倉門"が嘗てありました。
この"大手門"元々は旧江戸城の正門で、慶長12年(1607年)藤堂高虎によって1年3ヶ月ほどで完成 したそうです。
元和6年(1620年)の江戸城修復に際し、伊達政宗、相馬利胤の協力によって現在のような桝形形式(ますがた)の城門になったといわれています。
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皇居は、元々は徳川幕府の政治の中心であった江戸城跡である事は皆さんも御存知だと思います。
前回ご紹介した小石川植物園では江戸時代から明治・大正・昭和への移り変わりを感じさせられましたが、皇居内では至る所で江戸徳川幕府の痕跡を感じさせられました。
特に見学していて気付いたのは、綺麗に形作られた石垣の多い事多い事。
江戸城内には、本丸を始め二の丸・三の丸等々いくつもの建物があり、現在はそれら建物を支えていた石垣が点在しております。
石垣をみて気付きましたが、戦国時代とうに建造された城の石垣に比べると非常に石一つ一つが綺麗な形に加工されているのが分かります。
更に、石一つの大きさが非常に大きいです。
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石垣に使われている主な石は、静岡県にて多く産出されるという「伊豆石」と「御影石」との事です。
1個当たりの大きさは、右上側の写真の様に人の背と同じぐらいの高さで、重さは約2.5トン。
これを綺麗に積んで形作るんですから、かなりの手間と労力が掛かっている事が分かります。
戦国時代ですと、敵が攻め込んできた際の「要塞」の役目なので、石垣も細かい石をいくつも積んで突貫で造られている物が多かった様ですが、江戸幕府が樹立されてからは正に「権力の象徴」といっても過言ではない様な立派で綺麗な造りです。
しかも、現在の様にクレーン等の重機がないのですから、良く人力でこれだけ綺麗につくったのかと感心しきりです。
さて皇居を奥へ進めると、写真下の左側の様なこれまた巨大な石垣を発見。
この石垣こそが、江戸城の天守閣跡だそうです。
江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内でも最も大きな天守閣が完成しました。
天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44メートル四方、高さ18メートルで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。
しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されていません。基礎石である石垣だけが残っていて、現在の石垣の高さは約10mあります。
もしここに天守閣がそびえていたとしたら、どの様な形をしていたのか非常に興味深いですね。
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また皇居内では、様々な植物や花木が植えられており、四季を通じて様々な姿を見せてくれます。
その中で気になったのは、写真上の花木。蕾がとっても特徴的です。
この花木は「ミツマタ」と云う樹で、江戸時代から和紙の原料として使われている樹木です。
そしてこのミツマタは、我々にとってもとても重要な役目を果たしています。さて、いったいなんでしょう?
実はこのミツマタ、現在では日本の紙幣の原料として使われており、世界でも有数の良質な紙の原料として知られている樹なのです。
江戸時代においても、幕府の許しがないと栽培できない樹であったというところからも、何か歴史の重みを感じさせられる樹木です。
更に散策を進めますと、「梅坂」という坂の両脇に梅の樹が植えられている所に出て来ました。
梅の使い方として、こういう風に高低差がある所に植えると非常に見栄えのする樹で、今後個人邸での樹木選定の際にも使える技法ではないかと思われます。
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皇居を後にして、いよいよ最終目的地「日本橋」へと向かいました。
この辺りは、車や地下鉄でサッと通り越してしまう事が多い所なのですが、こうしてゆっくり歩くと、江戸時代から明治・大正・昭和・そして現在へと日本を成長させた経済の中心である事を感じさせられます。
今の貨幣制度の基礎となる「日本銀行」、財閥という明治以降の政治経済を動かす会社組織の中心の一つ「旧三井銀行本店」、そしてデパートの基礎を気付いた「日本橋三越」。
その建物一つ一つに、歴史の重みを強く感じられました。
今回の研修では、江戸時代から現代へ繋がる様々な歴史を植栽等から感じる事が出来た、とても充実した物でした。
今後、更に研究が進められてこう云った貴重な建物等を保存したり復元される動きが出てくると思いますが、それらが現在の建造物とどう融合されていくのかとても興味深いです。
更に私たちエクステリアプランナーも、そういった過去の庭園や建造物のデザイン等を研究して、新たな日本らしいデザインが生まれるのではないかと期待が膨らみます。
そして私も、そういったデザインのテイストを少しでも多くのお客様へご提案出来るよう、今後も精進してまいります。
是非御期待下さい!















